2012年11月14日水曜日

奈良の展示が終わった。

多くの人に、知らない多くの人に見て頂き、
自分たちがやっている事の意味や努力に対し、
少しの拍手と、エールを頂いたような気がした。
ありがとう。  不思議だよね。
相変わらず明日が見えないのはそうで、
どうやって皆が食べていけるようにしようかレベルの日常が
こうなればいいなあ という希望が、
ほんの少しの言葉を得て変わっていく。


日本の木の仕事を世界のトップにしよう。 私が考えている
この目標(大風呂敷でも何でもないのです)に、小さな工房の6人が
向かっている。一度に多くの事は出来ない。
いつもそこにある不安や、あきらめの道標に、ひょっこり差し入れの水を得た。
よし!また走り始めよう。
みんなに、色んな事に、ほんとうに、 ありがとう。

2012年11月5日月曜日

いよいよ明日から椅子展が始まる。

長い準備期間の結果を並べ、皆の批評を仰ごう。
若い弟子たちの未来と、取り組んでいる工芸の行く先を占ってもらおう。

買ってもらうことも大事だが、一番は私たちのやっている事が
何か少しでも人の琴線に触れ、作り手と価値の共有が出来得るものとして、
受け止められるだろうか。

いつもそうなのです。作品発表は言わば裸で立っている様なものだ。
さまざまな人の視線や意見にまったく無防備で、それだからこそ一言一言が良く効く。

どっちにしても、今の力を余すことなく見せている。
もうちょっと小出しにすればいいのに。 と、我ながら小物だと思うのだが、
これも性分で仕方がない。

龍村織物とのコラボ。 出していた張り地が今日仕上がってきた。いい出来だ。
飛鳥と名付けた布はゆったりと明るく、椅子の曲線にそって動いている。

高知の鹿敷製紙に協力いただいた “雁皮紙の椅子”。
紙の王と呼ばれる日本産雁皮紙を紐により、子椅子に編み上げてみた。
紬のような表情でつやのあるオフホワイト。 ほっそりした少女がセーターを着ている。
愛らしく、美しい椅子だ。

そして“黒柿の椅子”。

うーん。 日本中の人に見に来てほしい。   裸の我々を。

2012年11月4日日曜日

わが師 竹内碧外は骨董に秀でていた。
ありとあらゆるジャンルのものが、それも一級のものが
押し入れにあふれていた。 硯の鑑定では日本の第一人者。

弟子に入ってすぐに 毎日昼食の後は、
博物館でしか見れない品々の鑑賞会だった。

何が何だか分からない時期に、超一流の物を毎日見せられ、
手で触れるという  これはおそらくもう二度とできない経験だろう。

時々道具屋が訪れる。
ふろしきから額を取り出し、上目遣いに  “頼山陽のもんです。”
そう言うとじっと先生の言葉を待っている。

先生はちらっと額を見ると、おもむろにキセルにたばこを詰め、
火鉢に顔を近づけて一服すると、“よろしおすな” 気のない声で言う。
すると道具屋は “あきまへんか” と答え、そそくさと風呂敷に仕舞う。

それは不思議な儀式のように流れる   先生、骨董の世界では “よろしい” とは
ダメということなのですか。 と聞くと、 まあそういうこっちゃ。
どうして一瞥して、真贋がわかるのですか。

あのなあ、ええもん、美しいもんは いつの時代もいっしょや。
そこを見る目えは、養える。 いくつもいくつも真剣に見て、
最後はこうて、自分のもんにする。  そうしたら自然にわかる。

真理はある。これは変わらん。 腹に入れるこっちゃ。

常に厳しく、ぶれる事のない美意識を持った、この人物に出会うために
私は木工の道に入った。   本気でそう今でも思う。

2012年11月2日金曜日



鉋だけで仕上げる“kanna-finish”。

今回の展覧会は自分の中で 一つの区切りだと思っている。
この技を得る為、(あるのは解っていながら、見ないふりをしていた部屋)の扉を開け、
手探りで、一つ一つを確かめ、小さな明かりを灯して来たつもりだ。

よいしょと腰を上げ、ほかの部屋へ戻ろう。 ドアを開ければすぐに明かりが点くようにして。

 木工家としてできる事。 人が手を動かし、物を作る事によって得れるものが、
もしかすると それのみが、物事の本質を明らかにすることを、 うすうす感じている。

数学や論理学のように、あるいは工芸学を提唱しよう。
“感”や“何故”を分析しながら言葉にする作業を、ボツボツ考えていこうと思っている。

もちろん 座りやすい椅子を作りながら。