2012年11月4日日曜日

わが師 竹内碧外は骨董に秀でていた。
ありとあらゆるジャンルのものが、それも一級のものが
押し入れにあふれていた。 硯の鑑定では日本の第一人者。

弟子に入ってすぐに 毎日昼食の後は、
博物館でしか見れない品々の鑑賞会だった。

何が何だか分からない時期に、超一流の物を毎日見せられ、
手で触れるという  これはおそらくもう二度とできない経験だろう。

時々道具屋が訪れる。
ふろしきから額を取り出し、上目遣いに  “頼山陽のもんです。”
そう言うとじっと先生の言葉を待っている。

先生はちらっと額を見ると、おもむろにキセルにたばこを詰め、
火鉢に顔を近づけて一服すると、“よろしおすな” 気のない声で言う。
すると道具屋は “あきまへんか” と答え、そそくさと風呂敷に仕舞う。

それは不思議な儀式のように流れる   先生、骨董の世界では “よろしい” とは
ダメということなのですか。 と聞くと、 まあそういうこっちゃ。
どうして一瞥して、真贋がわかるのですか。

あのなあ、ええもん、美しいもんは いつの時代もいっしょや。
そこを見る目えは、養える。 いくつもいくつも真剣に見て、
最後はこうて、自分のもんにする。  そうしたら自然にわかる。

真理はある。これは変わらん。 腹に入れるこっちゃ。

常に厳しく、ぶれる事のない美意識を持った、この人物に出会うために
私は木工の道に入った。   本気でそう今でも思う。

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